その後、明治14年から同17年にかけて、雑誌「花月新誌」に連載された。
成島柳北(1837年-1884年)は、明治5年9月に東本願寺の大谷光瑩の欧州視察随行員として東南アジア諸国、イタリア、フランス、イギリス等を歴訪。目的は仏教史跡や教会等の視察であった。旅行期間は9ヶ月にもおよび成島柳北は明治6年5月下旬に帰国している。
成島柳北(1837年-1884年)は、明治5年9月に東本願寺の大谷光瑩の欧州視察随行員として東南アジア諸国、イタリア、フランス、イギリス等を歴訪。目的は仏教史跡や教会等の視察であった。旅行期間は9ヶ月にもおよび成島柳北は明治6年5月下旬に帰国している。
以下は、航西日乗中にある自転車の記述である。1873年(明治6)3月4日にパリの演劇場に行き、自転車の曲芸などを見た時の様子を書いている。もともとは漢文であったが、その後読み下し文になって出版。(一部判明しない漢字あり)
四日.火曜,雨。教師來タル。小野子ト共ニ長田子ヲ訪ヒ又「ロールビロン」ニ過ギ池田子ニ面ス。夜「ホリーベルジェー」ニ遊ブ。劇場ノ小ナルモノニシテ本邦ノ寄席ニ類スルモノナリ。看客隨意ニ酒ヲ飲ミ烟ヲ喫スルヲ得ル、劇場ノ嚴整ナルニ似ズ、其ノ席價二「フランク」ナリ。奏樂舞蹈ハ劇場ニ異ナラズ。兩男子ノ一小児ヲ左右ョリ擲ッ殆ド鞠ノ如シ。小兒翻々トシテ蝶ノ如ク或ハ空ニ翔リ或ハ縄ニ倒懸ス、輕捷驚ク可シ。又自轉車二乘ル伎人有り、玻●瓶數百ヲ並列シ其ノ間ヲ屈曲シテ行ク、一瓶ニダモ触レズ。其ノ妻亦巧ミ二乘ル。最後、伎人其ノ妻ヲ肩ニ負ヒ車ヲ馳セテ場中ヲ巡ル。
明治6年頃といえば、日本ではまだ自転車そのものが珍しく、貸自転車店の和製三輪車あたりがゴロゴロ、ガタガタとその周辺を走っていた時代である。
「ホリーベルジェー」とは、パリのフォリー・ベルジェール (Folies Bergère)のことかと思われる。フォリー・ベルジェール は、1869年に開業したパリの演劇場である。
当時のフランスは、自転車の先進国でミショー型自転車もさらに進化し、洗練されたものになっていた。曲乗りに使われた自転車は定かではないが、少なくとも最新式のミショー型自転車であったと思われる。
航西日乗の資料として最近の本では、2009年10月16日発行、幕末維新パリ見聞記――成島柳北『航西日乗』 栗本鋤雲『暁窓追録』 (岩波文庫)がある。