2020年9月13日日曜日

三元車

 1984年(昭和59)の春に自転車文化センターで開催された明治自転車文化展(3月9日~4月1日)は、当時、全国に存在が確認されていた和製の自転車が全て集合した記念すべき催事であった。事前の調査から含めると開催に至るまで1年以上の期間を要している。

先日、自転車関係の資料を整理していたら、明治自転車文化展の会場で撮影した写真が出てきた。すでに35年以上も前の写真で、しかも安い使い捨てコンパクトカメラで撮影したもので当然画質は悪い。その中に三元車の写真もあり、懐かしい思いがした。その写真は下にあるが、残念ながら肝心の鈴木三元翁の顔が劣化と摩耗で不鮮明で全く分からない。写真に写っている他の二人は鮮明ではないが何とか確認できる。この写真から1人乗り三元車の大きさとその形状も見てとれる。前輪の内側にある駆動補助輪も見える。ただ以前から疑問に思っていることは、その駆動方式がいまだによく分からない。齊藤俊彦氏が東京都公文書館で詳細に調査した時の写真と付随資料を見ても、何かブラックボックスのような箱に覆われた感じでさっぱり分からない。付随資料の三元車用法大意など何回か読んだが同様である。運転手を含め4人乗りの三元車もあるが駆動構造は同じのようだ。果たして平地はともかく少し登り坂になれば運転手以外の人は下りて後ろから押さない限り走らない気がする。その後もこの三元車が一般的に普及しなかったことを思えばその実像も理解できそうである。

残念ながら鈴木三元翁の顔が極めて不鮮明
1881年(明治14)ごろ

一人乗り三元車

4人乗り三元車 1881年
原資料は東京都公文書館所蔵

展示されていた和製ダルマ自転車

現在これだけの和製ダルマ自転車を一堂に
見る機会は無い

〇三元車に関する参考文献としては、下記が詳しい。
明治十年代前半における自転車事情 ー貨客運送用大型自転車開発の動きー 齊藤俊彦著
西南地域の史的展開(近代編)1988年1月5日発行