私が単身赴任で浜松に行っていたころの出来事である。
タイトルは「お寺にあったダルマ自転車」である。
袋井市にある古刹、真言宗の法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)で、境内の物置のような建物の軒のところで、ダルマ自転車があるのを発見した時の話である。発見した時の感動はいまでもはっきりと覚えていて2、3日頭から離れず眠れないこともあった。この法多山へは浜松に居た2年間に少なくとも5回ぐらいは参拝に訪れている。神奈川県で言えば大雄山を思わせる雰囲気のお寺である。
お寺にあったダルマ自転車
昭和55年11月のある日、浜松市内の共栄モータースというオートバイ屋の親父さんから耳寄りな話しを聞いた。それは、以前静岡県袋井市にある法多(はった)山尊永寺というお寺に行った時の話しで、そのお寺のお堂の中に木製の自転車が置いてあるのを見たという。お堂の中は薄暗くてよくわからなかったが確かにあれは自転車だったという。
昭和56年1月7日、初詣でを口実に、さっそく探索に出かけることにした。歴史を感じさせる杉や檜の大木を眺めながら参道をダラダラと登って行く、自転車が置いてありそうなお堂や、倉庫のようなものが幾つもある。はたして? どこにお目当ての自転車があるのだろうか。拝むふりをして、お堂の中を目を凝らして見る。それこそ、あっちのお堂こっちのお堂とのぞいてみたが、自転車らしきものはなにもない。結局この日の収穫はゼロであった。お寺の事務室に出かけ、思い切って聞いてみようとも考えたが、もし無かったらと思いなおし、今日はこのまま引きあげることにした。「また来年の初詣でにこよう」
昭和57年1月6日の大安の日、二度目の探索に出かける。去年見たお堂は飛ばし、その他のところを、くま無く回って見た。やはり無い。「まてよ、今まで小さなお堂ばかり見ていたが、あるいは本堂にあるかもしれない」善男善女にまじって、香の強い匂いが漂う本堂にあがる。このお寺は真言密教のお寺で、静岡県では一番参賀日の人出が多いと聞いている。ここの御本尊は正観音菩薩で人々には厄除観音として知られ、その昔、行基上人(668~749年)が大悲観音をこの地に安置したのが縁起と言われる。本堂には、護摩壇が左右に二つあり、僧侶が次から次へと祈願者の名前を読み上げていく。まるでオートメーション化されているかのようだ。壇のうしろは畳五十帖ぐらいはあろうか、これに祈願者が、それこそ畳一帖に 10人ぐらいの割で座り、合掌し、あるいは黙とうして自分の名前が読みあげられるのを待つ。私一人が何かキョロキョロしているようで、他の人が見たら無信心なャッだと思ったにちがいない。しかし、考えてみれば、御本尊を安置してあるこのような場所に自転車が置いてあるわけがない。「やはりダメか」。人をかきわけながら本堂の外に出る。先程登ってきた石段を重い足どりで降りていった。お寺の事務室を過ぎ、大きな倉庫のところまで来た時、ちょうどその倉庫の軒先のところに廃材などといっしょに荷車の車輪のようなものが置いてあるのが目にとまった。この倉庫は去年来たときもあまり見ずに通り過ぎた、なぜならここには廃材やら古看板といったガラクタのようなものが置いてあるだけで、とても自転車が置いてあるような気配はなかったからだ。今度もここは気にとめずに通り過ぎようとした。「どうせ荷車の車輪であろう」、一旦はそのまま帰ろうと思ったが、やはりちょっと気になるので一応確かめてみることにした。この倉庫がある場所は、参道より低いところにあるので、ちょっと坂を下って行く。「なんだ、やはり荷車の車輪か、おや、まてよ変だぞ」と首を伸ばして注意深く見ると、最初は廃材やら古看板の影になり全体がまったくわからなかったが、よくよくのぞいてみると、なんと前輪の大きなダルマ自転車である。一瞬のうちに気は動転し、一気に血液は頭の天辺に駆け登った。今考えるとまったく情けないことだが、興奮のあまりダルマ自転車の細かい部分については、まったく忘れてしまった。冷静な気持ちであれば細かい部分についても観察できたであろうが、以下あやふやなところで一応その自転車について記してみることにする。車輪は前が1m 20cmぐらい、後輪が 60cmぐちい。スポークは木製、リムは木製で周りに鉄の帯が巻いてある。前輪のハブは15cmぐらいの厚みがあり、その左右でそれぞれのスポークを支えている。クランクは鉄製、ペダルは木であったか鉄であったか覚えていない。フレームは鉄製、ステアリング、ポストはよく覚えていない。フォークも同様。サドルはよく見えなかった。ハンドルは真直ぐな鉄製、ニギリの部分は木であったと思う。
私は今までダルマ自転車の実物など見たことがないので、他のダルマ自転車との大きさの比較ができない。これが果して大人用なのか、あるいは子供用なのかもわからない。と言うのは、この自転車がちょっと小さく見えたからである。しかし、相当の年代ものであることは確かだ。はたしていつごろのものであろうか。復製品でないかぎり、明治初期のものに違いない。いったい、いつだれが乗ったものであろうか。これは今後の研究課題である。「こんなところに置いてあるのなら案外譲ってくれるかもしれないぞ」と思い、今だ興奮気味の体で、先程前を通って来た、お寺の事務室へ行く。血相を変えて、いきなり入っていったものだから、さぞ驚いたにちがいない。応対に出て来た女子事務員は、初めのうち怪げんな顔をしていた。もつれる舌を何とか動かし、手短かに用むきを伝える。「そんな自転車あったかしら、どこです。」事務員を連れて、またダルマ自転車が置いてある倉庫まで降りて行く。「ああ、そう言えば昔し子供がこれに乗って遊んでいたことがあるわ。」でも何となくこの言葉には曖昧さがあった。「譲る話しは住職に聞いてみないとわからないので、一応お名前と連絡先だけでもお聞かせ下さい。伝えておきますから」紙切れに、震える手で名前と住所を書いて渡す。「いつごろ住職さんは本堂からお戻りですか」尋ねたところ、夜の7時ごろだという、「それならそのころお電話しますので、よろしくお伝え下さい」こうして、意気ようよう、このお寺から引きあげることにした。
頭の中は、もうダルマ自転車のことでいっぱい。まったく何にも手に付かない。昼めしを食べる間でも、そのことばかり考えていた。夜の6時半になった。まだ早いかなと思ったが、はやる心にせきたてられ、電話を入れることにした。まず、大きく深呼吸し、それから電話の前で祈るように合掌した。ちょっとまた頭に血が昇りはじめたが、どうやら天辺まで行くことはなかった。だがやはり緊張している。住職はもう戻ってきていた。「も、もしもし、住職さんですか、実は今日交通安全祈願のため初詣でにあがったものですが、帰り際に倉庫の軒先にある古い自転車をみました。いくらかご寄進しますのでお譲り願えないでしょうか」すると返ってきた言葉は以外とそっけなく。「どこにある自転車かね」 「事務室のそばの倉庫にあるやつです」「あれは市の博物館にやることになっている」「ああ・・・・そうですか」まるでいきなりピシャッと頬を殴られた感じであった。「だめだったか」独り言のあと、ポカーンとした状態が数分つづいた。「これでよいのだ、これで」
袋井市の博物館は聞くところによると、昭和60年ごろ建設予定であるという。するとあと3年もあの倉庫の軒先で、ダルマ自転車は過ごさなければならないのであろうか。「カゼをひかなければよいのだが・・・」(オ)