2020年9月27日日曜日

鈴木三元

 宮武外骨の次はやはり鈴木三元となる。

どちらもイギリスのシンガー三輪車の影響を受けたからである。
私と三元車との出合いは、一本の電話から始まる。1982年頃、名古屋のM氏から知り合いの骨董屋さんが、昭和57年4月に開催された東京・平和島の骨董市で見つけた農機具のような三輪車の由来を調べているとのことで照会があった。その三輪車の車体の一部に「三元」という文字が刻印されているという。当初は分からなかったが、電話で話している最中に、明治9年頃の新聞に載っていた鈴木三元を思い出し、若しやと思い鈴木三元についてその時の知りえる情報を伝えた。
その後、新聞紙上や自転車文化センターで開催された明治自転車文化展で一躍三元車が有名になり、歴史的な大発見の方向へ進んで行った。
今では鈴木三元の郷土である桑折町でも、町おこしに三元車が大きな看板になり、盛大なイベントも開催されている。鈴木三元が考案した大河号や4人乗り三元車のレプリカまで製作して町の観光に一役かっている状況である。それはいいとして。
ここで、少し整理をしながら三元車について再度探ってみたい。

まず鈴木三元(すずき・みつもと)について、
1814年(文化14)、福島県伊達郡半田村谷地 (現・同郡桑折町)に資産家の家に生まれる。
明治15年6月に三元舎という半田銀山関連業務を経営。明治20年には年間所得額14.391円で福島県下長者番付1位となる。
明治初期から三元車と称する三輪車を構想し、明治9年に自走車「大河号」を完成させる。
明治12年に二人乗りの「自在車」完成。明治14年3月に東京で開催された第二回内国勧業博覧会 (会期、明治14年3月1日~6月30日)に一人乗り、二人乗りの三元車を出品。その後、本格的な販売に備え、東京下谷に居所を定め、横浜にも売捌き所を設ける。明治16年に火災で売捌き所が焼失する。その後すぐに再建はしたものの販売は振るわず。結局、三元車の製造販売を中止することになる。
明治16年以降は和歌などの趣味と半田銀山関連の経営に専念する。
明治23年5月27日に76歳で亡くなる。

三元車について大きな疑問点が二つある。

疑問点その一、
私は明治自転車文化展の時に注意しながらフレームなどを丹念に見たつもりだが、いまだに三元と刻印された部分を見ていない。この刻印がきっかけで三元車の情報が広がっていったわけであるから、是非その部分を確認したいと思っている。

疑問点その二、
交通史研究家の齊藤俊彦氏の調査した三元車といわゆるシンガー型三元車を比較した場合の大きなギャップである。まったく違和感があり同じ鈴木三元が製作した三輪車とはどうしても思えない。私は以前から齊藤氏が調査研究した三元車が本筋であり、これが三元車だといまも思っている。明治自転車文化展の時もシンガー型三元車に何か常に違和感を感じていた。明治自転車文化展がシンガー型三元車の歴史的価値を誇大に評価宣伝してしまったのではないかと感じている。決して当時の関係者(私も実はその一人だが)を批判する訳ではないが、歴史的な評価はつねに公平で、ある程度納得できるものでなければならないと思っているからである。歴史に誤謬や錯誤は日常茶飯事であるが、それは次の世代の人が調査研究し、正当な歴史に近づけていくことが大切である。歴史の怖いところは嘘や間違いが本当の史実になることで、特に一度その事柄が印刷されてりっぱな装丁の書籍になった時、歴史的事実になってしまうことである。そのようなことは、常に起きているし、いまでも起きている。原書原点を深く吟味研究しないで、安易に各書籍の孫引きやひ孫引きが行われている。いまではネット情報まで一役かっている。一役どころか主役になっている場合が多い。そして著者の肩書やら学歴でそれを権威づけているのである。そしてそれが正しい歴史になり教科書にも採用されてしまう。
私が書籍にこだわらない理由は、能力もさることながら、一介の学者でもない趣味人が書籍をだすようなおこがましさを感じるからである。負け惜しみと人は言うかもしれないが、それでよいと思っている。今やデジタル化の時代である。いつまでもハンコや活字が幅を利かせる時代ではなくなってきている。いまにAI(人工知能、Artificial Intelligence)ロボットがスーパーコンピューターと連動して、過去の歴史書等をすべて調査吟味しながら、より正当な歴史書を作る時代になると思っている。もうそこまで来ているのではないか。厭世的な飛躍かもしれないが宇宙論的規模で考えた場合、人類を含めその歴史全てがいずれは消えてなくなるはずで、それはビックバン(インフレーション理論)から始まったとされる宇宙もいつかは消滅するはずである。個人的にもデジタル化の良いところは、デリート・キーを1回押すだけですべて消え去ることである。
疑問点二は、だいぶ横道にそれてしまったが、シンガー型三元車は本当に鈴木三元が考案したものか、それともまったく無関係な別物か。
以上の2点だけは述べておきたい。

一人乗り三元車 明治12年頃
左から二人目が鈴木三元
明治自転車文化展の展示資料

四人乗り三元車 明治14年
写真提供:齊藤俊彦氏

シンガー型三元車 明治16年頃
写真提供:自転車文化センター
現、トヨタ産業技術記念館所蔵

参考文献、
①明治十年代前半における自転車事情 ー貨客運送用大型自転車開発の動きー 齊藤俊彦著
西南地域の史的展開(近代編)1988年1月5日発行

②明治自転車文化展(解説書)、自転車文化センター 昭和59年3月9日発行