2020年9月24日木曜日

ピレンタム

 昨日に引き続き自輪車である。

ロンドン科学博物館にあるピレンタム(Pilentum、人力馬車)或はアクセレーター( Accelerator、加速機)の画が自輪車の原画であるとしたが、このピレンタムにしても全く疑問がないわけではない。
やはり構造と年代が気になる。
まず構造上の疑問であるが、手握りから伸びる線と足から伸びる線の素材である。針金のような鉄製のワイヤーなのか、それとも丈夫な紐なのか、どうみても鉄のワイヤーに見えるが当時の技術ではどうなのであろうか。そして足から伸びる線との接合部分であるが、図をみるかぎり不自然で本来ここには接続金具のようなものが必要である。
それから2枚の細長い板であるが、おそらくこれはテコの原理を利用した踏板のようである。後部が長く出ているのもうなずけるが、それを止めている金具などが見えない。最後にこのピレンタムの製作年代であるが、どの画のキャプションにも1820年頃とある。1820年頃と言えば、まだドライジーネ(1817年)が誕生してから間もない時期で、なぜかこの年代に違和感を覚える。このピレンタムはイラストだけで実物はないのか。肝心な考案者は果たして誰なのか。ホビーホースを製作したイギリスのデニス・ジョンソンなのか。いまのところ不明である。それともすでに解明されているのかどうか。
日本の自輪車も不可思議であるが、このピレンタムも謎が多い。その辺が歴史の面白さであるのだが、どうもすっきりしない。
再度、ピレンタムと自輪車を掲載する。

自輪車の方は日本自転車史研究会の会報”自転車” 第20号 1985年3月15日発行「やはり幕末に自転車は来ていた!」の全文を載せる。

ピレンタム 1820年頃
ロンドン科学博物館所蔵資料

日本自転車史研究会の会報”自転車” 第20号
1985年3月15日発行
「やはり幕末に自転車は来ていた!」

自輪車


以下はOCR処理したもの、

やはり幕末に自転車は来ていた!

日本で自転車が出てくる最も古い文献としては、今のところ明治2年(1869) 1月のジャパン・パンチである。ところが、それよりも4年早い慶応元年(1865)発行の『横浜開港見聞誌(横浜文庫)」橋本玉蘭斉 作に、自輪車という名で、自転車(三輪車)が出てくる。横浜居留地の貴婦人と思われる女性が、三輪車に乗っている画があり、この画の説明書きには次のようにある。

「此車は自りんの物にして、前の車をめぐらせば自然として大車めぐり出し走るの図」

この三輪車の図を見てすぐ感じることは、はたして、この三輪車はどのような方法により動かすのかという疑問である。当時、外国の三輪車の駆動方式としては、手動式、踏み板式、ペダルクランク式などがあった。この本の文中には更に、その駆動方法が次のように書かれている。

「次の図は自輪車なり。これは乗りて細き組糸をもって前の輪に巻きつけあるを、腰のかげんにて、車の台向う上りになりたるとき、くるくると糸を巻き上るなり。またゆるめするに、前の車はげしくめぐれば自然と大車めぐり出だして走ること最も早くして、小犬の付添来りてこの車とともにかけ出すに、車の方少し早し。車小なる作りにして大体一人のりなり。手ぎわよろしく奇麗なる車なり多くは女性の乗るべきものと見る」

どうやら、この文章からその駆動方法を判断すると、前輪に巻いた組ひもを巻き上げることによって、前輪の中に組み込まれたゼンマイ仕掛が巻かれ、手をゆるめることにより動きだす仕組みのようである。それとももっと別な方法により動くのであろうか。どうも「腰のかげんにて、車の台向う上りになりたるとき」という文の意味がよく分からない。
ロープを使った手動方式ならば、この組ひもが輪ゴムのようにつながっていて、これを継続的にたぐりよせることにより前輪を回転させる方法なら理解できる。しかし、この方法でも手の疲れをさし引かなければ、けして快適な乗り物とは言えない。それとも、この組ひもは坂を登る時にだけ使用されるのだろうか。そうなると、やはり、他の有力な駆動方法がなければならない。組ひもを一回巻き上げたら、またいちいち三輪車からおりて前輪に巻くとしたら、それこそたいへんである。画のように犬が三輪車を追いかけるどころか、おそらく寝そべってあくびをしている時間の方が長いであろう。それにしても、この画と本文の説明を読む限り、その駆動方法はよくわからない。今後の調査が必要なところである。
三輪車は普通この画にあるように、主に女性用の乗り物として利用された。このようなところから、外国では、Ladies' English Velocipede とかParisian Ladies Velocipede という名称の三輪車もあったくらいである。C.F.カウンターの「サイクルその歴史的評論」でも「すでに述べた初期のマシンの系列に属する他の型の三輪車も、1860年代に、特に女性の間で人気があった。これは婦人用英国製ベロシペードもしくは、婦人用パリジャン三輪車として知られ・・・」
確に、この画のように女性が乗っている姿が自然なのである。男性は主に、ミショー型か、後期になるとオーディナリー型の二輪車に乗ったのである。

おわりに、この画の三輪車は、自転車の範ちゅうに入らないのではないかという疑問もあると思うが、外国では、このような三輪車も四輪車も Tricycle、 Quadricycleとして、自転車の中に入れている。当然狭義の意味で自転車を定義づけるとすれば、二輪が直列した乗り物が自転車ということになる。しかし、乗用者みずからの力により走る物は総て自転車とみるべきだろう。
やはり、自転車は幕末に日本の土を踏んでいたのであった。(オ)