ドーバー海峡を泳いで渡ったというニュースは、以前なら話題になった。しかし、最近ではトライアスロンが盛んになったせいか、余り珍しいことでなくなった。
ところで、今回の記事は、水上自転車でドーバー海峡を渡らん、という話しである。
ところで、今回の記事は、水上自転車でドーバー海峡を渡らん、という話しである。
明治27年8月5日付けの毎日新聞に、次のような記事がある。
「自転車を駆りてドーヴァー海峡を横ぎらんとす。
自転車の欧州に流行するもの、今や実に滔々、而して曼国のジオルジー、ピンカルトが、最近此器を利用して、英国ドーヴァー海峡を横ぎらんと企てたるに至りては、最も新聞紙の好資料たるに適す。
自転車は、簡単に其構造を述ぶれば、非常に浮泛性に富める材質を以て、其双車輪の中体を改造し、恰も凸鏡の看をなさしめ、而して其上より直径4フィートに余る大車輪をはめ、なを外周に、水かきを装置したるものなり、(此自転車が陸行に用ゆべきは勿論なり)自転車の特許を受けたるは、1883年のことにして、発明者は、同じく曼国のヘル・ピンカルトなり、而して速力は、1時間6マイル、今回の渡航の如きも、実にわずか5時間余を以て了するはずなりと、先年英国カプテン、ウェッブが辛うじて測量し得る所によれば、ドーヴァー海峡には、少くとも20余の潮流あり、水勢もまた一般に急激なりと云う。
ジオルジー、ピンカルト果してよく其奇異の渡航を成功し得るや否や」
新聞のイラストを見る限り、この水陸両用自転車はものになりそうである。このような形のものをどこかで見たような気がする。しかし、これだけのもので潮の流れが速いドーバー海峡を渡るのは大変なことであろう。はたして成功したのであろうか。
水上自転車は他にも当時の雑誌などに見えるが、どれも実用になりそうもないものばかりである。
註、曼国とは日耳曼国で、旧ドイツのことである。
自転車を駆りてドーヴァー海峡を横ぎらんとす
明治27年8月5日付けの毎日新聞