2021年2月18日木曜日

自転車無銭世界旅行者中村春吉氏直話③

 自転車無銭世界旅行者中村春吉氏直話③

 4日の朝京都を去って四日市に向いました。其途中大津から鈴鹿峠迄自転車に帆を懸けて通りましたが非常な速力でした。それから水口という所の警察署へ寄って一寸休憩をして、其處で例の饅頭を出して食べた。其處を立ったのが午後零時20分でした。 立つ時に署長さんがビスケットを澤山呉れました。それから丁度3時に鈴鹿峠を下りて大に驚きました。
 上る時には何とも思わずに上ったので一向汗も出ませなんだが、下りしなに斯ういう急坂が日本にもあるかと思って実に一驚を吃しました。ボツボツ下りかけた所が二人の男が4間位の竹を車に着けて大きな石を車の後に付けて平気で坂を下りて居りましたのを見て私は其大胆に実に驚き入りました。斯くて先ず私は無事に其坂を通り越して伊勢の四日市新町に着いたのが午後の7時でした。日は暮れて居るし別に便る所もございませぬから警察署へ行って事情を述べて一泊を請いましたが許して呉れませぬ、それで仕方がないから市役所へ参って、台所の隅へでも宣いから寝かして呉れと懇願しました。けれども此處は役所だから泊める訳にはいかね併しあなたの事情を聞いて見れば誠に御気の毒である。失敬だけれども私は宿銭を差上げるから宿屋へ行ってお泊りなさいと斯う親切に言うて呉れましたが、私は素より無銭旅行の目的であるのですから銭を受けることは出来ぬと申して其厚意を謝して立去ろうとした所が、当直の役人が、それならば仕方がないがマア少し待て呉れと云ってピンヘッドを20ばかり買ふて来て私に与えました。一旦は辞しましたけれども折角の厚意黙止し難く其中ただ1つだけ貰ふて市役所を去って、偶と思い当る所がありましたから、私立三重唖学院主の高松清作氏の宅を訪ねました。所が高松氏が能く来たマア此方へ上れと云うて親切に扱って呉れましたので其時の心持というものは実に地獄から極楽へ来たような心持でした。それから風呂に這入って御飯を喫べて、そうして色々な話をして 12時30分に愉快に寝に就きました。

 翌5日の朝高松院生主の案内に依って唖生の教授の仕方を参観して、実に其教育法の総ての点に行届いて居るには感服致しました。
 そうして午前9時に厚く謝礼を述べて其處を出発しました。午前 11時に木曽川の渡場に着いて、自分は無銭旅行の者であるがどうか渡して呉れと頼みましたところ渡守が快諾して早速渡して呉れました。所が又向うに川がある。生憎船が彼方へ行って居ってナカナカ戻って来そうもありませぬので到頭其處に1時間程休憩して其處で弁当を食べて漸く渡して貰いました。そうして警察署へ参って茶を一ぱい御馳走になり、又飲料水を貰うて其處を立って安全に名古屋に着きました。それが午後の3時40分でした。それから電気器諸機械製造及輸入金物木材雑貨商の角田福次郎という人の紹介でアンドルス、チョルジ商会に参りましたる所、非常に歓迎をして呉れまして、旅館も取って呉れました。其晩洋食を御馳走になって旅館へ帰って一泊した。翌6日の、早朝自転車の掃除をして、それから憲兵屯署に参って話をして居りました折に、近藤代三郎という人が来て自分の自転車を検査して、少し「スポーク」が悪いから修繕して置くと云ってスポークを修繕して呉れました。
其上ランプの油や機械の油を貰って立とうとした所が、山中鍋太郎という人が来て、煙草を御持ちなさいと云って巻煙草を沢山呉れました。けれども私は煙草の貯えは要しませぬからと申して辞退をして其中1つだけ貰って其處を立ちましたのが午前11時30分頃でした。3里程行きまして鳴海へ着くと腰掛の螺條が折れて乗ることが出来なくなった。それを俄に繕うって岡崎に故障なく着きました。直ちに岡崎飛輪会副会長の千賀千太郎氏方を訪問致しました所が、丁度其處へ会長並に幹事諸君が来られて私を料理店に案内して大層な御馳走をして呉れました。そうして其晩飛輪会諸君の好意に依って岡崎 1等の旅館に泊ることを得ました。其時に私は非常に感じた。私のような者が斯様に諸所で歓迎を受けて有志諸君にわからぬ失費を掛けるのは実に相済まぬことである。以後は一切斯様なことは謝絶して成るだけ自分の知己を便ろうという決心を致しました。
(つづく)

明治35年1月1日発行雑誌「輪友」第3号より