2021年2月17日水曜日

自転車無銭世界旅行者中村春吉氏直話②

 自転車無銭世界旅行者中村春吉氏直話②

 翌30日早朝須貝君初め学校の人々に好意を謝し、訣別を告げて出発しましたのが午前7時20分頃でした。そうして神戸に向う途中、高畑という所迄参りました所が、其処で1人の猟師が二連銃を擔いで一頭の逞しき猟犬を伴れて来るのに出会いました。所が其猟犬が私の姿を見ると実に非常な勢で吠え掛かった、途端に不将にも其猟師が縄を解き放して犬を私の車体に喰い付かした。私は実に危険極まる、不都合な人間だと思いましたから、いきなり飛降りて、此犬は尋常の犬でない、狂犬だから撲殺してしまう。さあ一緒に警察まで来いと言って大に責めました所が、猟師が青くなって切りに謝罪をするのです誠に恐入りました。どうか御勘弁を願います。此犬は誠に大切な猟犬です。自分は免状を取上げられても一向厭ひませぬから、どうか此犬を撲殺することは許して下さいと切りに謝罪しますから、一時自分は非常に立腹しましたけれども、終ひに可哀想になりましたから、深く将来を誡めて其儘別れて神戸に無事に着きました。早速元町の長尾商店に尋ねて参って、自分が此前車から落ちたときに帽子がメチャメチャに壊れましたから、帽子の古いのを呉れぬかと言ったところが、幸い此処に帽子の新らしいのがあるから之を持って行けと云って快く夏帽子を呉れました。 それから橋本商館を訪ねて参りました所が其店に十七、八の少年が居って頻りに私に対して英語で話しかけるのです。其時私はカゼを引いて居って声がすっかりかれて話も出来ぬ位でした。そこで私は此奴自分がかって通弁をして居ったことを聞いて子供の癖に生意気に英語で話すのだと思ったから、癪に障って、お前は日本人であるのに何も必要のない場合に英語で話すなどとは生意気千萬だ。子供の癖に余計な文句は言わねで仕事をせいと言って怒ってやりました。そうして奥の方へ来ました所が店の者が、今あなたは大変怒ったが彼は子の時から外国へ行って居って漸く此頃日本に帰ったので日本語は少しも解せぬものですから御気に障ったらどうか御勘弁を願います。と斯う言われたので私は大きに赤面致しました。イヤそれは大きに失敗した私はまた彼は日本語を知りつつ生意気に英語でうるさく話すのだと思ったから癪に障って怒ったのです。それは私が大きに悪かった。と言って復び彼の少年の傍へ行って、今甚だ失礼なことを申して済まなかったと申して詫びました。すると少年が、あなたが今黙って仕事をせいと言ったのではないか、私はあなたの言葉を聞く耳を持たぬ、と斯う言って怒っている。そこで私が成程それは其通りだ。お前が日本語を知らぬものであるとは知らなかったから左様なことを申したのだ。実に済まぬことを言った。どうか勘弁して呉れ、そうして将来心易くして呉れと詫びたので少年も機嫌を直して、私は幼年の時から英国へ参って居ったために日本語は一向知らね、あなたの来たのを見て実に懐かしく思ったから思わず英語で話をしたのです。アーそうであったかというような訳で、それから互に愉快な話をして別れました。そうして橋本商店で昼飯を御馳走になって、午後の1時に其処を立って2時30分大阪に着きました。途中の渡場は無賃で故障なく通して呉れました。大阪に着くと直ちに大阪朝日新聞社に立ち寄って旅行の話などをして、其処を辞して橋本出張店を尋ねて難波へ行く道を問うて、8時に其処を立って難波の自分の親戚の鉄工所の飾秀という者の宅へ着いたのが 30日の8時40分でした。久し振りで親戚に会うたので一家団欒して夜更けまで愉快なる話を致し其夜は心持能く寝ました。翌日は12月の1日で男正月であるというので雑煮を拵えて馳走して呉れました。それを自分1人で八百目程の餅を平げてしまったので、親戚が君は実に能く食うじゃぁないかと云って驚いた。満腹したので昼飯は食べずに余所へ遊びに行って帰った所が又種々な御馳走を拵えて待って居ったので、早速それを又悉皆平げてしまった。家の者は実にあなたは能くどうも食べられるものだと呆れて居りましたが、自転車乗は澤山食べなければ身体が続かぬと言って遠慮なく腹一ぱい詰め込みました。

 1月2日と其処に滞留して居って、3日の朝其処を出発致しましたが、朝飯の代りに又雑煮を拵えて呉れましたから三百目程食べました。
そうして立つ際に餅を八百目許り貰ってそれを自転車のカバンの中に入れ、また其処の職工長をして居る自分の親戚に当る者から1銭の饅頭を50程貰って、それをカバンに括り付けて其処を出発したのが丁度午前の9時でした。そうして復た大阪に来て橋本支店に寄った所が非常に歓迎されて高谷と云う其処の支店長が西京に行く道を二里許り送って呉れました。西京に着いたのが午後の2時でございました。所が此処で京都友輪クラブ員諸君の歓迎を受けまして、諸君の御配慮に依りて上等旅館に投宿致しました。(つづく)

明治35年1月1日発行雑誌「輪友」第3号より


 この写真は明治40年頃に撮影されたものと思われる。大きな看板には神戸橋本自転車商会大阪出張店とある。住所は「大阪京町橋西詰北へ入」と書いてある。
 この時期、橋本商会は、本店が神戸三宮町二丁目に、九州支店が博多川端町にあった。
 明治43年のカタログを見ると、次のような銘柄車を販売していた。
 ハンバー、インペリアル、センター、ノートン、スターレー、ラピッド、アライアンス、スタンダード、プリティー、サンシャインなど。
 橋本商会は、英国製ハンバーの東洋総代理店でもあった。

 中村春吉の直話の文中に出てくる橋本商会の大阪出張店(大阪市京町橋)はここである。