2021年2月15日月曜日

自転車無銭世界旅行者氏直話①

 自転車無銭世界旅行者中村春吉氏直話①

 日本人初の自転車世界一周旅行を行った中村春吉の直話で、これは世界旅行出発前に山口県下関から東京までの自転車無銭旅行の話である。これを読むと中村春吉の常識はずれで図々しさも感じるが、登場する人々のおおらかな人情にも触れることができる。

 押川春浪の冒険小説『中村春吉自転車世界無銭旅行』はかなり脚色が多く、楽しめるが、この記事は直接本人から聞いた話しで信憑性もあり興味深い。因みに、日本自転車史研究会では以前に押川春浪の『中村春吉自転車世界無銭旅行』を復刻出版している。
 下の写真は御手洗の天満宮境内に設置された顕彰碑で、碑の中の写真は当研究会が提供した。

明治35年1月1日発行、雑誌「輪友」第3号より転載。

 私は風俗視察、語学研究のために自転車の無銭世界旅行を企てたのです。

 11月15日正午12時に下ノ関を出発し午後6時40分無事に三田尻に着きましたそれから直ちに久賀郡という所にあって私の旧主人の宅を訪ねて其処に一泊しました。

 17日の朝8時に其処を出発して広島に向い午後1時に着きました。大手町の鳥飼繁三郎という人の宅へ寄ってベルを修繕して貰い、又空気を入れるポンプが損じましたから、赤谷という人からポンプを貰って、其晩は深越村の大下龍之進という人の宅に一泊しました。

 18日の朝7時30分に其処を出発して、自分の故郷御手洗を指して参りました。
其途中に於て四日市西條という所に一つの急坂がある。其坂を下りしなに牛飼が一頭の牛を牽いて上って来るのに出会いました。そこで私がベルを鳴しますと牛が驚いて網を放れて暴れ出しました、其時に車の泥除が取れて、スポークの中へはまり込んだので、自転車が転覆して私は田の中に投げ出されて、左の面部を打った。痛さをこらえて早速田からはい上って、復び自転車に乗って竹原町の警察署に参って色々な話を致し、それから写真屋を訪うて写真を撮ってもらって、そうして明神の鼻という所でよき便船を1艘借受けて、自分の故郷御手洗と申す所へ行きました。

 故郷の御手洗に11日程滞在をして、27日の朝7時30分に其処を出発して尾の道に参りました。尾の道では十四日町の鉄砲屋兒玉という人の宅へ1泊しました。

 翌28日早朝尾の道を出発して、福山という所へ参りまして、自分の親族の所に一寸立寄って、それから岡山市に向けて進行致しました。其途中笠岡の手前に於て非常に劇しく犬に吠えられたので驚いて車から跳ね下りて、犬を逐いましたけれどもナカナカ逃げね、そこで仕方がなく空砲を放ちました。ところが却て私の方へ牙をむき出して向って来た。そこでまた1発打ったがまだ逃げね、益々激し、吠えつく、都合4発打って漸く犬を逐払って自転車に乗ろうとすると、其附近の家から人が出て来て、今の銃丸が俺にあたったと言って非常に怒って私に談判をしかけました。馬鹿なことを言うな犬を逐うために空砲を打ったのだからお前にあたる訳はない。何処にあたったかと詰問すると、其男がイヤ銃丸ではないが砂が顔にあたったから勘弁は出来ぬと言って幾ら説得しても頑として聞入れませぬ、そこで仕方がなく笠岡の警察署に同道して参って、自分が空砲を打った事情を述べ警官に説諭して貰って其男を帰した。其事が済んでから署長さんと色々な話をして居る中に、丁度正午になったので昼食を馳走にあずかりました。そうして其処を立ったのが午後1時30分頃で、岡山に着いたのが午後5時頃でした其晩は岡山の双輪会に於て内山下の平松君外数名の歓迎を受けて同会に一泊しました。

 翌29日早朝に起きて自転車の損じた所に修覆を加へ、厚意にあずかった諸君に決別を告げて岡山を出発したのが、午前11時40分でした。そうして姫路に向いました。道中何等の故障なく姫路に安着したのが午後の7時30分であった。所がモウ日が暮れて何処と云って便る所もなし仕方がなく警察署へ参って、当所に何処ぞ英語を教える学校のようなものはないかと尋ねましたところが、大工町に須貝潜という人の主幹している「ディレクトル、オフ、ロジカル、イングリッシュ、スクール」という学校があるというて教えてくれましたから、直ちに警察署を辞して其学校を尋ねて参って、須貝という人に会いまして、私は下の関に於て通弁をして居るものであるが今日世界の風俗並に語学研究のために自転車で無銭旅行を企てて御当所に参ったのであるが斯様に遅く着いて別に宿泊を求める所もなく、困難至すに依て御迷惑であろうが、どうか一泊を許して貰いたい。ということを申せし所、私の所では家内が多くて泊める訳にはいかぬ、折角の御求めであるがどうも御望みに応ずる訳にはいかぬと情なくも拒絶しました。そこで私が併し君も苟も英語の教授をしてる人ではないか、僕も不肖なりと雖も多少英語を研究した者で、今度無銭世界旅行を企てたのも語学研究というのが一つの目的であって、詰り君が英語を教授して其普及を計るという目的と帰する所同一になるのであるから、どうかそう言わぬで同学の縁故を以て御迷惑ながら一泊を請いたいものである如何であるかということを英語で話しました。所が須貝君がイヤそれは甚だ失礼なことを申した。如何にも君の仰っしゃる通りである。私の前に申したことは誤りである。マア此方へ上りたまえというので自分は満足して上った所が、其処に生徒も澤山居り、教師も居りました。其席で2時間許り英語で色々な話を致しました。然るに其時須貝君が真面目に1人の教師にむかって、私を紹介して言うのに、此人は西班牙人(スペイン人)である。今夜泊めて呉れと言うて来たから一泊せしむるのであるということを言った。ところが其教師がアー左様であるか、英語はナカナカ巧であるが西班牙人とは思わなかった。一寸と見ると日本人としか見えぬが、そう言われて見ると成程少々異るところがある、それは珍客であるというので共々に英語で彼方此方の話をして愉快を盡して居ましたが、終ひに須貝君が笑うて、実は此人は西班牙人ではない。下の関の中村春吉と云う人で、此度自転車の世界無銭旅行を企てた人であると本統のことを告げましたので、一同哄笑をして、そうであろう、どうも日本人に相違ないと思った、と大笑を致しました。そこで其晩はイングリッシュ・スクールに於て非常なる歓待を受けて実に愉快にヌクヌクと寝に就きました。 (つづく)

広島県呉市豊町の顕彰碑
御手洗天満宮境内
写真提供:「重伝建を考える会」