2021年5月1日土曜日

多田健蔵の長距離自転車レース

多田健蔵の長距離自転車レース

先のブログで「小宮山と多田」を書いたが、先日、知人の渋谷氏からFacebookのMessengerで多田健蔵に関する記事のコピーをいただいた。
この記事は昭和43年の「シクリスムエコー」で、多田健蔵 (1889年 - 1976年)が当時の自転車競技の思い出を座談会形式で語っている。

 註、「シクリスムエコー」は、1950年(昭和25年)に創刊された日本自転車競技連盟の広報誌

その中に1907年(明治40年)の自転車長距離競走(250哩)のことが語られている。
このレースで多田健蔵16時間53分の記録で優勝。(明治40年7月2日付け横浜貿易新報)

その時の状況を直接本人が語っていて興味深い。この座談会時の多田氏の年齢は79歳であった。

(多田)・・・・その時は11時間以上たってたときだ。折り返して戸塚の坂上で水をのんだら腹がいたくなって。こたえたね。
それでも我慢して走った。藤沢へ行ったら、マゴマゴしたら無効になってしまうというんだ。苦しい中を走って小田原へ行ったら、検印場所に人がいないんだ。そりゃそうだよ朝から走り通しで、時間も7時頃だった。小田原から折り返して国府津へ来たら、暗くなったのでガスランプ(カーバイトランプ)をつけて走ったが、苦しかったね。6月だし、ムシ暑さがすごく蚊がうんといるんだ。息するたびに蚊が口の中に飛び込んでくる。
その時、面白いことがあったね。
茅ヶ崎でね前方に荷車があったんだ。その上へ乗りあげてしまったんだ。すると荷車の先が前に下がった。そのまま荷車をのり越して走ってしまった。藤沢の最後の検印所へ来たとき、もう20分すぎたら駄目だぞと言われてね、それから走ったね、遊行寺の坂をハアハア言いながら登って、頂上に来たら、ようやくトンネルのような松並木をすぎるころになるとヒザがカチンカチンとなる。それから戸塚の坂をおりるときは、どうにでもなれと足をはなしハンドルの中心をつかんで目をつぶっておりたね。
それでもどこにもぶつからずにチィント真中を走っていたよ。
そうこうしながら横浜についたのが9時53分だった。タイムは16時間50何分だった。今、思えば奇跡に近いね。貿易新報に入って、顔を洗っていたら、応援してくれた仲間が来てね、「多田さん死んじまやしませんかね」といいながらオロオロしているんだ。気はしっかりしているんだけれど、体はフラフラだ。記録係のところへ行くと、「勝ったぞ」というんで。それでも一体何着かわからないままに風呂に行ったけど、またげなかったね。
手もハンドルを握ったままの状態で伸びなかった。これは一月位つづいたね。目方は2貫目位へった。

 多田健蔵選手
全国自転車選手権大会で優勝
明治42年4月3日
昭和43年発行の「シクリスムエコー」より
資料提供:渋谷良二氏