2021年5月17日月曜日

自転車関係資料⑭

 自転車関係資料⑭

下の資料は神戸の橋本自転車商会割引券付広告チラシである。

いつごろのものか当初はよくわからなかったが、このチラシの内容を見ると、内国勧業博覧会の文字があり、1903(明治36)年に大阪で開催された博覧会であることが分かる。

神戸の橋本自転車商会については、何度もこのブログに登場している。

神戸は横浜同様に幕末から開港され、その後に外国人居留地も設けられ、新しい外国からの文物が早い段階から入ってきた土地柄である。自転車も例外ではなかった。

それに伴い、日本人が経営する商店も徐々に増え、この橋本商会もその一つであった。最盛期には大阪や博多、門司にも支店や出張所が設けられ、自転車の流行に伴い大いに売り上げを伸ばしていった。

このチラシも橋本商会が繁盛していた頃のもので、第5回内国勧業博覧会を記念して、自転車などの割引を敢行したのである。自転車に限らず自動車まで既に登場している。

下に掲載した本店前の写真を見ると2台の自動車が置かれ、これからは自動車の時代が到来することを暗示しているかのようである。

この橋本商会には2年近く前に例の自転車無銭旅行者の中村春吉も訪れている。

次のくだりである。(雑誌「輪友」第3号、明治35年1月1日発行 中村春吉氏直話より)

明治34年11月30日7時20分、須貝氏や学校の人々に謝意と別れをつげ出発、神戸に向かう。途中、猟犬を連れた猟師とトラブルがあったが、無事に神戸へ着く。元町の長尾商店で夏用の帽子をもらう。その後、橋本商会を尋ねる。店の小僧とトラブル。外国帰りの少年で英語で応対したため。当初、日本語ができないことを知らなかったため、生意気な小僧と中村は判断した。橋本商会では昼飯をご馳走になる。13時に橋本商会を出発。14時30分に大阪着。大阪朝日新聞社に立ち寄り、自転車世界旅行の話をする。橋本商会大阪出張所にも寄る。20時に難波の親戚の家に行き、泊る。

橋本商会が取扱った自転車には、次のような銘柄があった。

ハンバー、インペリアル、センター、ノートン、スターレー、ラピッド、アライアンス、スタンダード、プリティー、サンシャインなど。橋本商会は、ハンバーの東洋総代理店でもあった。(明治43年発行のカタログより)

ハンバーの歴史は古く1868年にトーマス・ハンバーにより、イギリスのシェフィールドでミショー型の自転車の製造から始まったと伝えられている。その後まもなくノッティンガムに移り、自転車製造を本格的に開始した。更にその後も業務を拡大し、ビーストン、ウルバーハンプトン、コベントリーに工場を持つようになった。

橋本商会割引券付広告チラシ
明治36年

神戸の橋本商会本店
明治40年頃
自動車が2台見える

神戸橋本自転車商会大阪出張店 明治40年頃
住所は「大阪京町橋西詰北入」
本店が神戸三宮町二丁目、九州支店が博多川端町