自転車資料関係⑫
下の資料は大正15年発行の雑誌『新旧時代』明治文化研究会、福永書店 である。
この雑誌は1925年(大正15)年2月に『新旧時代』として創刊された。その後、1927年3月に『新旧時代明治文化研究』と改題され、同年10月まで刊行された。
この雑誌の目的とするところは、
明治初期以来の社会万般の事相を研究し之を我が国民史の資料として発表すること。
とある。
関東大震災後の東京で、明治期の建造物や諸々の文化が失われていくことを憂い、吉野作造や石井研堂、尾佐竹猛、小野秀雄、宮武外骨、石川 巌、井上和雄、藤井甚太郎の8名が同人となり、1924年(大正13)11月に「明治文化研究会」を結成した。その機関誌がこの『新旧時代』である。
自転車の画が出てきたので、以下に掲載する。
③の写真の説明、欄外に「新案諸車と舶来銘酒取次店(三代広重画・明治三年版)」とあり、車類では、手押し車、ラントン型幌付き自転車、自輪車型四輪車、人力車が描かれている。
元の画は「東京繁栄流行の往来」三代広重である。下に載せた(④と⑤)。
⑥は、明治4年頃に描かれた双六画の一部を切り取ったもの。
⑦と⑩の拡大したものを見ると、明らかにラントン型三輪車である。当時はこれが自転車であった。交通史研究家の齊藤俊彦氏によると、竹内寅次郎の製作した乗り物であり、これを彼は「自転車」と命名した。
⑥は、明治4年頃に描かれた双六画の一部を切り取ったもの。
⑦と⑩の拡大したものを見ると、明らかにラントン型三輪車である。当時はこれが自転車であった。交通史研究家の齊藤俊彦氏によると、竹内寅次郎の製作した乗り物であり、これを彼は「自転車」と命名した。
元の画は⑨である。絵師は孟斎芳虎(歌川芳虎)である。