2020年10月25日日曜日

老舗さんぽ ③

この記事は1984年(昭和59)3月15日の日本自転車史研究会の会報第14号からのもの。
小田原に以前あった太田自転車店を訪れた時の話である。あれから36年が経過し、今ではこの自転車店も無くなっている。

ある自転車人生
小田原市内の小沢病院前に太田自転車店(小田原市本町2-1-33 ) がある。ここの初代店主である太田利光さんは、自転車との付き合いが既に70年近くにもなる。まさに自転車と苦楽を伴にしてきた人である。
明治35年、 太田さんは温泉の街熱海で生まれた。 16才になると早川にあった佐々木自転車店(現在は廃業)に丁稚見習として入職し、修業時代が始まる。
少年時代は、自転車競走選手にたいへん憧れ、小田原城のお堀近くでよく行なわれた草レースを観戦しながら「何時しか俺も名選手になってやろう」と夢を張らませたと云う。
大正7年の頃、多古の製紙工場のグランドで行なわれた神奈川県下5マイルレースに初出場、まだ自信はなかったが、日頃の練習成果を発揮できる良い機会であった。ところが下馬評とは裏腹に優勝をものにしてしまったのである。太田氏の述懐によれば、たまたまその日のレースに出場を予定していた有力選手が他の競技会に出て欠場したため、お鉢が回ってきたものと謙遜する。その後も小さなレースには常に上位に顔を出すようになり、実力が付いてきたことを伺わせる。
大正11年5月6日、丹沢山麓の秦野で自転車大競技会が行なわれた。会場は現在の県立大秦野高校(現在この場所は神奈川県立西部総合職業技術校に変わっている)、水無川対岸の草競馬場である。
秦野輪友会主催、東京日日新聞後援になるもので、各地から有力選手がぞくぞく出場した。
この競技会のメインレースである全国選手10マイル競走に太田氏は出場、見事有力選手を蹴散らして優勝した。今でも店の壁には、当時の賞状と写真が誇らしげに飾られている。
大正14年、2年間の兵役が終わると、修業時代の経験を生かして独立、自転車店を開業した。現在では総て息子さんに店を任せ、悠々自適の生活を送っているが、当時は苦難の連続であったと云う。
なお太田さんは、小田原競輪場の誘致活動等にも尽力した人で、その功績も忘れてはならない。

昭和4年発行、全国自転車業組合聯合会会員名簿
国会図書館所蔵