2020年10月5日月曜日

明治期のハンバー

 先日、写真を整理していたら明治期のハンバーなどの写真が数枚出てきた。

この写真は、以前コンドーサイクルの近藤さんと、コンドーサイクルへ取材に行った佐竹さんから送られてきたものである。

この年代のハンバーは日本では珍しい。恐らく明治25年前後のハンバーかと思われる。

この辺のことを、次に記す。

まず、サイクルショップ・コンドーの店主、近藤さんから以前いただいた手紙(1984年、昭和59)である。

前略

前略自転車史の研究御苦労様です。お問い合せのありました。古い自転車の件ですが、以前私の所有するアンティック自転車(セーフティータイプのもの)を写真に撮りましたので、これをお送り致します。なにかの参考になれば幸いです。当店は、明治末期の創業でして、今でも大正及び戦前の資料が若干残っております。機会がありましたらお目にかけたいと思います。

草々


ハンバーのヘッド部

ブレーキの形状に注目

チェーンが欠損している

後輪部

後輪下の古いスタンドにも注目

いままで国内に現存する明治期の輸入自転車をいろいろと見てきたが、この英国製ハンバーは、特に古いもので、おそらく明治26年頃に銀座にあった大倉組銃砲店か日本橋の丸善あたりが輸入したものではないかと思われる。


次は佐竹氏の取材記事である。
・・・深谷のコンドーサイクルに去る8月21日(1989年)に行ってまいりました。明治時代中頃のものというその自転車は、西ドイツ製のハンバーという会社のものだそうです。店の天井からつるしていたのをわざわざ下ろしていただいて、写真を撮って来ました。また、スタンドがめずらしいということを以前に伺ったのですが、それは奥にしまってあり、見せてもらうことはできませんでした、店主の近藤さんは、忙しいにもかかわらず親切に応対してくださり、大正期のパンフレットなども見せていただきました・・・。

近藤氏の話しによると、自転車は西ドイツ製のハンバーと言うことですが、ヘッド部のエンブレムをよく見るとコベントリーという字がかすかに見える。
ハンバーの歴史は古く、1868年の創業で、日本へは明治30年代に神戸の橋本商会を介してかなり輸入されていた。近藤氏のハンバーは、セーフティーでも初期のもので、明治25年前後と思われる。近藤氏は、他にもいろいろ古いものを所有しており、ルーカスの1923年のカタログやアセチレンランプ、大正期のスイフトのカタログ、宮田のアサヒ、パーソンの特約店であった頃の看板等もある。


これはハンバーのカタログの一部分である。1901年(明治34)とあり、日本にハンバーが輸入される1~2年前のもの。ハンバーは、1903年~1910年頃に坂田自転車店、仁藤商店、橋本商会(神戸)などで販売していた。



上の写真も以前、近藤さんからいただいた「オール輪界」表紙部分のコピーである。

 日本の戦前、特に昭和初期は明治30年代の流行期と比べると、月刊雑誌や輪界新聞或は販売店の商報(定期刊行カタログ、月報を含む)などの発行が少ないようだ。それは、関東大震災の影響や満州事変勃発、そして太平洋戦争突入へと続く、まさに昭和の激動期をむかえたからであろう。

 近藤さんのお店は大正時代の創業で、既に100年以上の歴史がある。古いものを大切にされる近藤さんは明治25年頃のハンバーをはじめ古い看板類や資料も多数保管されている。この「オール輪界」もその一つだ。
「オール輪界」は、この号の号数と発行年月日から推察して、昭和7年9月の創刊と思われる。この雑誌がはたして何年ごろまで刊行されたのか分からないが、先程も述べたように昭和の激動期をむかえていたので、おそらく昭和15年ぐらいには廃刊になったのではないかと推量する。