2020年10月7日水曜日

究極の自転車屋

 究極かどうか分からないが、以前、岡山の河原さんが名付けた自転車屋の話である。

その前に、既に40年前になるが、浜松に居た頃、小栗自転車店を何度か尋ねた。
きっかけはラレーロードスターに付いていたスターメイ・アーチャーの内装ハブが故障して、どこの店に行っても修理ができないと断られていたが、あるバイク屋さんを訪ねたところ、腕のいい自転車店を知っていて、浜松市鴨江の小栗自転車店を紹介してくれた。

或日、小栗自転車店を訪れた。店主は小栗幸平さんと言って、この時すでに83歳のご高齢であった。まず驚いたことは店の佇まいで、一般の自転車ショップのイメージからまったくかけ離れた店であった。店内に新品の自転車が置かれていないこと、床は土間であった。天井から古いフレームが何本も下がっていたり、中古の自転車が数台置いてあった程度。修理用の大きな作業台には万力があり、土間には確かフイゴのようなもがあった。昔の鍛冶屋のことは知らないが、たぶんそのイメージに近い店である。
小栗さんは釣りが趣味で、釣から帰ってきたところで、スターメイ・アーチャーの内装ハブの修理依頼をした。早速、快諾をいただき、その日は自転車を預けて帰る。
数日後に、店へ行ったところ、既に修理は終わっていて、完璧に直っていた。これがきっかけで小栗さんと親しくなり、中古車だが2台この店で購入した。1台は昭和22年製の岡本ノーリツ号で、これは天井から下がっていたフレームに適当な部品を組み合わせ作っていただいた。もう1台はこれも昭和20年頃のフレームで、形状は十字号のような形であった。

小栗自転車店も河原さんが言った、究極に近い自転車屋であろう。

次に本題の河原さんの話である。
先ずは、河原さんから頂いた手紙(1994年)の内容だ。

・・・ところで、以前お話ししました「究極の自転車屋」の件ですが、いわき市小名浜に行きまして、記憶を頼りに右往左往しましたが、それらしい店がありません。仕方なく近所の自転車屋に聞きますと「都市計画で道が拡がり、家を壊して、その土地を新しく買った人が散髪屋にしている」との返事。翌朝もう一軒の古い自転車屋を尋ねましたところ「それは本家で、あなたが言っている店はもう少し先に、何十年前に移転して、今でもあるヨ」とのこと。すぐ車を飛ばして行くと「アッタアッタ」道は広くなり派出所やセブンイレブンが出来て、すっかり雰囲気は変わっていましたが、反対側だったので、都市計画の工事からは外れ、2年前尋ねた時と変わらぬ“箱崎自転車店”がありました。
60才以上ではあるが、かくしゃくとした店主も居られました。事情を話して、写真を取り直したり「ふいご」を見せてもらった上、古い錠前2つと今では完全に見られなくなった(終戦の頃まで私も使ったことがある)ハンガータップという工具を頂戴致し「全国では唯一の仕事場ですから末長く、このまま保存して下さい」と、厚かましくお願いして、その足で三元車で有名な桑折町追分の五代目鈴木三元さんを尋ねました・・・。

箱崎自転車店

河原さんが撮ったこの写真を見るとまさに究極の自転車屋の意味が分かる気がする。どう見ても鍛冶屋さんである。自転車や農機具などの修理をしていた感じがする。
だいぶ前の話になるが、神奈川県の厚木にあった加藤自転車商店(創業は明治40年頃)は昔、鍛冶屋をしていて、その後自転車店をはじめたと聞いている。
加藤自転車商店も箱崎自転車店も小栗自転車店も現在は無い。さみしい限りである。
グーグルのストリートビューで箱崎自転車店と小栗自転車店を調べたが、その面影はまったくなくなっていた。