2021年8月11日水曜日

自転車関係資料㊳

 自転車関係資料㊳

この資料は昭和4年発行の「竹田町勢一覧」である。

豊後竹田と云えば、すぐに思い出すのは、滝廉太郎の「荒城の月」である。そのメロディーが聞こえてくるようだ。

それと不幸な歴史だが西南戦争も忘れてはならない。茶屋の辻の戦い(ちゃやのつじのたたかい)は、1877年に竹田町で起きた戦闘である。政府軍の圧倒的な火力により西郷軍は敗退した。この戦闘で死者の約1.000名、焼失した家屋は1.500軒と云われている。

いつものように交通運輸欄の自転車に注目する。
自動車 19台
自転車 380台
人力車 6台
馬車 8台
荷車 135台
とある。

やはり自転車が圧倒的に多い。大正14年の自転車商名鑑を見ると竹田支部だけで自転車店が13軒あった。
現在は4店舗だけ、後藤自転車商会、永田サイクル、森永自転車商会、塩崎自転車商会である。この中で100年続くような老舗はない。

Googleストリートビューで周辺を少し散歩したが、歴史を感じさせる街並みがまだ多く残っていた。大分には3回ほど観光で行っているが、残念ながら竹田へは行っていない。

竹田町勢一覧(現在の大分県竹田市)
概説
地勢 
竹田町ハ直入郡ノ南部ニ位シ海拔七百八十有餘尺大野川上流ノ支川白瀧稲葉ノ清水周園ヲ流レ丘陵青松緑竹繁茂シ奇岩怪石其間ニ立シ山紫水明盛夏三伏ノ候ト雖酷暑ヲ知ラス其大自然ノ風光佳ナルコト小京都ノ稱アリ

沿革
當町ハ文禄三年中川秀成岡城入城後市街漸次繁榮トナリ以テ維新ニ至リタルニ明治十年西南ノ役兵燹(へいせん)ニ罹リテ全町焦土ト化セシモ今ヤ再ヒ舊時ノ市街トナリ商業繁昌郡內第一都邑ナリ

土地
當町面積〇方里一八一東西一里十二丁南北十一丁ニシテ官有二屬スルモノ免租地五丁二反民有免租地百九十四丁一反歩其外民有々租地百四十七丁一反ヲ有ス其內最モ多キハ山林ノ六十六丁步之ニ亞ク(つぐ)宅地ノ二十九丁五反步畑地二十九丁四反步田ハ僅カニ四丁三反ニ過キズシテ其他ニ原野雑地合シテ十七丁九反歩餘アリ

人口
現住戸数千百六十一、人口ハ五千五百七十五人ヲ有ス

產業
本町生產総額ハ三十一万八千七百七十八円ニシテ工產ノ二十六万一千四百六十五円ヲ第一トシ畜産農産林産水産之ニ亞キ町民ハ商ト工トヲ主トシ副業トシテ竹細工タル竹人形、竹割箸、竹籠等ヲ生產シ就中竹人形ハ全國無比ノ好評ヲ博シ竹割箸又聲價ヲ昂騰シ將來有望ノ事業トス

交通
豊肥鐵道町ノ西北ヲ貫通シ其他各地ノ連絡ハ台数二十有餘ノ自動車ヲ以テ交通運輸上至大ナル便利ヲ増進シツツアリ

本書、主トシテ昭和四年事実ノ大綱ヲ掲載スルヲ主眼トナシタリ

交通運輸欄

ページ全体

表紙

概説

添付の地図

日本輪界興信名鑑 大正14年度版
コマ番号 696番
日本輪界新聞社
国会図書館所蔵資料

岡城
Googleストリートビューより