2021年8月29日日曜日

「自転車デザイン-イラストの歴史」

 「自転車デザイン-イラストの歴史」

「Bicycle Design - An Illustrated History」Tony Hadland、Hans-Erhard Lessing共著(2014年3月21日)

この本が出版されてから既に7年も経過しているが、未だに日本語訳版が出ていない。殆どの主要国(ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、イスラエル、アラブ諸国、インド、タイ、台湾)では出ているのだが、日本ではその気配すら感じない。なぜこのような良書が翻訳されないのであろうか、誰もが英語版を読めると思っていないはずなのだが、その理由は分からない。ただ言えることはこのような本を出版しても売れないという現実が待っている。特に自転車の歴史などは、殆どの日本人には全く関心がないのも事実である。はじめから売れないもの、赤字になるものに誰も手は出さない。そうなると、やはりどこかの公益法人あたりが出版するか、或いは資産家がボランティア的に費用を負担してもらう以外無理であろう。
なぜ、この本だけをここで取り上げるかと云えば、日本の自転車の歴史の一部がたとえ1頁でも紹介されているからである。従来から欧米では誰も日本の自転車文化など興味もないし、無視されてきたのである。
例え1頁ほどでも図版入りで紹介された意義は大きい。当然この解説には日本の研究者もかかわっている。
最近その知人から電話があり、更に彼のブログでも紹介されているが、イタリア語版が出るにあたり、わざわざイタリアの博物館から連絡があり細部についての質問があったと云う。その後に久平次の陸舟奔車の実物大模型を製作したのである。
これは画期的なことであり、極めて重要なことでもある。
この本のイタリア語版が出なければ、そのような事態には当然ならなかったはずである。
何れにしてもそのような具体的な影響を与えた自転車の歴史本が、日本で未だに出ないこと事態不思議でならない。

以下は英語版の抄訳とその挿絵である。

初期の日本の人力自走車
日本では稲作の灌漑用に足踏み式の道具が利用されてきた伝統があった。
1732年にボート型の三輪車が陸上用に考案製造された。(小池-2013)。

この陸舟奔車は、彦根藩士、平石久平次時光が書いた文書に描かれている。
それは藩主の命より製作されたのである。

それ以前にも四輪(竹田は三輪)の自走車が二つ製造されていた。
その一つは1729年の庄田門弥によって製作されたもの、もう一つは1730年に竹田という人物により製作された。これらの2台の自走車については久平次の陸舟奔車のような文書はのこっていないが、地元では庄田門弥に「長距離の人」(千里車の人)と呼んだ記録があるとしている。この車は後輪との中央に木製フライホイールがあり、車体の両側に固定された一種の複合クランクシャフト式であった。田圃の灌漑用のようなものである。

久平次の陸舟奔車の方は、ペダルに下駄(木製のサンダル)が付いており、フロントステアリングシステムは、ロープが数回巻き付けられた垂直ステアリングポールで構成され、その両端がレバーに接続されていた。

久平次は四輪車の自走車からクランクシャフト式の自走車について、その文章の中で、陸舟奔車の三輪車が以前のものより成績が良かったと報告してる。
四輪車では、傾斜面に差し掛かると車から降りて押す必要があった。陸舟奔車の方は斜面を駆け上がることも可能であると云う。

この文章には乗り手はダンサーのような動きでどこへでも自由に行けるとあるが、しかし、その後この陸舟奔車が何台製作されたかは不明である。

「自転車デザイン-イラストの歴史」の挿絵