2021年8月3日火曜日

自転車関係資料㉝

 自転車関係資料㉝

この資料は1964年7月10日発行の「アサヒグラフ」である。
その29~31頁に第19回国民体育大会の自転車ロードレースの記事あり。

丁度この年は10月に東京オリンピックが開催される関係から、開催時期を前倒しして6月6日から6月11日に開催された。

この国体が終了した後の6月16日には新潟県の粟島南方沖約40kmを震源とする新潟地震が発生、地震の規模はマグニチュード7.5であった。県営川岸町アパートが徐々に液状化現象により倒れていくテレビ映像はいまも記憶に残っている。この地震により8月予定の夏季新潟国体は中止となった。

この国体の自転車ロードレースにも出場している大宮政志選手は前年のプレオリンピックで優勝している。下記の文中にもそのことが書いてある。大宮選手がこの時期辺りから絶頂期を迎えつつあることが分かる。この年の八王子で行われたオリンピックの自転車ロードレースでもメルクスやジモンディ選手らの強豪相手に奮闘し36位の成績を収めている。大沢鉄男選手の後継者として十分な期待に応えてくれたのである。

以下はアサヒグラフの記事を抜粋。

スピードと耐久
自転車競技・個人道路競走

新潟国体での自転車一般137.5キロ・ロードレース 弥彦村をスタートし一団となって折返点の曾地に向う 越後路は田植えもすんで青々とした田んぼがつづく 色とりどりのユニホームが緑にはえて美しい (本社ヘリコプターから)

 個人道路競走は自転車競技のマラソンである。距離は180~200キロメートルの間で、使用される道路に合わせてきめられる。もちろんなまやさしいコースではない。急勾配あり急カーブありの道路を、選手は食糧、水などを持参して走りまくる。
 平均時速43キロという普通列車なみのスピードだから、強い脚力が要求されることはもちろんだ。そのうえ、そういうスピードでただ黙々と走りぬくための強じんな意志の力が伴わなくてはダメである。
 日本の自転車競技は影が薄かった。それが昨秋の東京国際スポーツ大会以来、一躍脚光をあびるようになった。道路競走で大宮政志選手が世界一流といわれたバジール(フランス)を破って優勝したからだ。50人いた候補選手がプロ転向のため17人にも減った、というような苦境をのり越えた猛訓練が実を結んだといえよう。
 しかし楽観は許されない。ローマ大会で、自転車だけで金5、銀1、銅1というメダルをかせいだイタリアを初め、ヨーロッパ勢は日本の及ばぬ厚い選手層を誇っている。東京大会にどんな強豪が現れるかわからない。

燕市 三条市を過ぎると道は信濃川の岸辺を進む。さわやかな銀輪の音が初夏の川面をわたってゆく 選手にとっては苦しい137.5キロだ

Bicycle road race participants are required to cycle 180 to 200 kilometers at 
43 kilometers per hour. Here are aerial views of Japanese cyclists during the
 road race at the Japan National Athletic Meet in Niigata in June.
(自転車ロードレースの参加選手は、180〜200kmのコースを走る。そのスピードは平均時速43キロだ。 6月に新潟で開催された国体ロードレースのもようを空中から撮影) 

1964年7月10日発行の「アサヒグラフ」
29~31頁

エディ・メルクス(右から2番目)
と走る大宮選手(中央)
東京・八王子
「TOKYO OLYMPICS 1964」写真集より
1964年10月22日 東京オリンピック大会
自転車個人ロードレース
12位  エディ・メルクス  4時間39分51秒
36位 大宮政志 4時間39分51秒