2021年8月6日金曜日

日豪交歓自転車競技

 日豪交歓自転車競技

下の写真は昭和30年に小田原競輪場で開催された日豪交歓自転車競技会のもようである。

この写真は小田原市内にある野地サイクル商会に保存されていた写真の一部で、二代目店主野地好幸さんのアルバムから複製したものである。野地好幸さんは若い頃はアマチュアの自転車競技選手で全国総合自転車競技会神奈川大会やその他の地方の大会にも度々出場していた。この日豪交歓自転車競技会にも当時の自転車仲間であった中島价藏さん(井細田の中島自転車店の店主)や遠藤譲二さん(遠藤自転車店の店主)も参加していたはずである。

アルバムに貼ってあるタックシールには「30、日豪大会 小田原ニテ」と書いてあるが。日付までは分からない。その後に調べたところ、昭和44年2月5日発行の「小田原のスポーツ史」の年表に

30. 5. 8 日豪交歓自転車競技小田原大会 市営競輪場

とあった。この大会の詳しい内容まではわからないが、とりあえず昭和30年 5月8日に開催されたことは確かである。

それにこの写真からは場所が不明であったが、市営競輪場とあるから現在の小田原競輪場である。

小田原競輪場は、1949年(昭和24)8月15日に開設され、トラックの1周は333mで、走路の傾斜カント(角度)は海外の自転車競技場並みに急であった。このため海外に遠征する日本人選手はよくこの競輪場を利用して練習したと言われている。
私も昭和50年頃この競輪場を利用したことがあるが、バンクがかなり急であったことを覚えている。やや平坦なホームグランドの平塚競輪場でいつも練習をしていたので尚更そのように感じた。
小田原競輪場の上部バンクでのスタンディングは怖くて出来なかった。

若干写真の説明、

①開会式で整列する選手。オーストラリア選手は2名だけか。日本人選手はざっと数えて30名ほど参加している。当時の小田原競輪場は現在のように2階建ての高い観覧席がないので周辺の景色がよく見えている。

①開会式のもよう
写真提供:野地サイクル商会(以下同じ)

②オーストラリアの選手と走路を走る

③アルバムに貼られたタックシール
「30、日豪大会 小田原ニテ」とある