2024年12月22日日曜日

On The Wheel 第3号

 On The Wheel 第3号

No. 3 - 1998年6月15日発行

クラシック サイクリストのための雑誌

目次、
1955年ウェセックス”24”
コペイク自転車オークション
マクタガート・ハイホイーラー
八神史郎にインタビュー
ツール・ド・フランス訪問
チャールズ・スペンサーの続き

八神史郎氏にインタビュー
八神史郎という名前は、ほとんどのアメリカ人サイクリストには馴染みがないが、コレクターやサイクリング業界に携わったことがある人なら、彼の名前を聞いたことがあるかもしれない。八神氏は世界有数のコレクターの 1人で、初期のボーンシェイカーからハイホイーラー、バルーンタイヤの自転車、クラシックな軽量レーシング マシンやツーリング マシンまで、自転車やパーツの幅広いコレクションを所有している。このコレクションは、彼が自転車業界の輸出入業者として 40年以上働いてきた間に築き上げられたものである。現在 70代である彼は、長い間収集を続けている。
その素晴らしいコレクションについて非常に控えめだが、それを印象的な個人博物館に作り上げ、コミュニティにしようと一般公開している。彼はサイクリング業界で重要な役割を果たしているだけでなく、極東アジアの自転車史のスポークスマンでもあり、自身の博物館やコレクションを特集した多数の新聞や雑誌の記事を通じて、人々の自転車趣味への関心を広げてきた。
以下は、日本のサイクリング業界、日本のコレクター、そして自身のコレクションについてのインタビューである。

八神:私が子供の頃、父は伝統的な日本人男性というよりは現代的であった。背が高く、体格も才能も兼ね備えた父は、画家でもあり、輸入自転車に興味を持つようになってからは、常に何か新しくて変わったものを探していた。父はラーヂやフィリップスなどの28インチロードスターや、BSAやトルペードのコースターブレーキハブを装備した自転車に乗っていたのを覚えている。父は私の人生に大きな影響を与えたので、私は5歳になる頃には自転車に乗っていた。もちろん、最初は子供用に乗っていたが、次第にサイズは大きくなり、22インチ、24インチ、26インチの日本製自転車であった。それは1930年代から40年代のことであった。その間に日中戦争が勃発・・・・

21頁
八神自転車博物館

22、23頁

表紙